GOLDEN GLORY
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(photo 1) Cage setup at Havana Beach Club
(photo 2) WVTC 8 Cagefight event
(photo 3) WVTC 8 Cagefight event

The Birth of Golden Glory

1999年5月23日、アルバ島で、“Cage Fighting Championships"を1ヶ月前にオランダで成功させたばかりのプロデューサー、バス・ブーンが、ビジネスマンのロン・ニクヴィストと会い、そのカリブ海の陽気な島での開催を話し合ったところから、“Golden Glory(ゴールデン・グローリー)"は産声をあげた。 最初の“Cage Fighting Championships"のあと、政治的な理由から、オランダ国内でそのようなイベントが開催できないことを知っていたブーンには大きなチャンスであった。 イベント開催2ヶ月前に、104人のスタッフがアルバ島へ飛び、準備を行った。 Cageの設営場所は、Havana Beach Clubというディスコの隣に決定した。

それは、まるでチャールズ・ブロンソンの映画「ストリートファイター」のようで、大きな海洋コンテナに囲まれ、ビーチからの入り口からは映画セットのように見えた。 ブーン、ニクヴィストは、有名トレーナーであう、コー・ハマーズからの協力も得て、イベントは大成功を収めた。

そして、初のWVCが開催された日本で、Vale Tudo Championshipsのプロデューサーであるフェデリコ・ラベンダと出会った。 ブーン、ラベンダ、ニクヴィストの3人のチームは、“黄金の方程式"となった。 フェデリコはアメリカから選手を連れてき、ブーンはヨーロッパから連れて来た。 ビジネス・センスを持ったニクヴィストは、プロモーターとしての才能を発揮した。

(photo 4) Group photo WVTC 8 on the beach
(photo 5) L to R - F. Lapenda, B. Boon, A, Muyales, Carcareco, R. Nyqvist
(photo 6) Dutchman Willy Peeters
(photo 7) Willy Peeters again
(photo 8) Heath Herring vs. Carcareco
(photo 9) Sean McCully in the WVTC 9
(photo 10) Bob Schreiber wins his first fight

オランダのチャンピオンのウィリー・ピーターズは喜んでオファーを受け入れ、不運にも切り傷によるドクターストップにより敗退(ファイティングスピリットを持つピーターズは試合ストップを残念がったが)してしまったが、アメリカのヒース・ハーリングとブラジルのCarcarecoの対戦となった決勝戦に観衆は熱狂した。 30分間をブレイクなし、そしてグローブなしで戦う伝説の一戦となった。 引き分けの試合ではあったが、重量が軽いCarcarecoの勝利となった。 リベンジを誓う19歳のテキサス出身の格闘家にロンはそのチャンスを約束した。
1999年9月25日に行われたWVC9は、“The Battle of the Titans"と呼ばれた。 初めての大会は大成功に終わったものの、この大会には暗雲がたちこめようとしていた。。。

オランダ政府は、オランダ領であったカリブ諸島の議会に圧力をかけ、Cage(金網リング)を禁止したほか、ポスターの掲示や“The Fighting Island"という名称の使用も禁止した。 開催数日前のプロモーターには頭痛の種である。 それだけではなく、3日間雨が降り続けた雨のせいで野外イベントは開催すら危ぶまれた。 どうするのか、と心配する格闘家たちに、ブーンは、“晴れ乞いダンス"を踊るから心配無用だ、と言った。 ホテルでピアモンテ とアイブルが喧嘩になりそうになるなど緊張は高まる中、当日を迎えた。 大会開始1時間前に雨は止み、イベントはつつがなく行われ、ヒース・ハーリングが優勝した。

(photo 11) Bas Boon (center) doing commentary for South American TV
(photo 12) Brazilian Carcareco wins WVTC 8
(photo 13) Erin Toughhill vs. Irma Verhoef
(photo 14) Gilbert Yvel victorious

悪天候や限られた宣伝といった逆風のなか、集客は良くなかったが、大会終了30分後に雨が降り出したことを考えると、神がブーンの“晴れ乞いダンス"を見ていたのかも知れない。 大会の経済的損失にもかかわらず、ニクヴィストは、全員に約束したギャランティーを支払った。 また、大会そのものは非常に内容が良く、ハイレベルな女子スーパーファイト、また因縁の対決となったピアモンテとアイブルの一戦は、凄まじい内容となった。

この大会終了後、ブーンとニクヴィストは、深夜まで話し合った。 すでに何人もの選手のマネージメントをしていたブーンが、パートナーであるニクヴィストが被った損失を回復するために、マネージメント会社の設立を提案すると、ニクヴィストは賛成し、ここに“Golden Glory(ゴールデン・グローリー)"が誕生した。

ギルバート・アイブルのWVCでの優勝やヒース・ハーリングのタイトルなどは、彼らを日本へ連れて行くのに十分な実績であった。

(photo 15) Group photo on the beach at Aruba for WVTC 9
(photo 16) Herring vs. Mc Cully
(photo 17) Andre Rudokov and Eugen Lotin
(photo 18) Rob Kaman passes the GG torch
(photo 19) The Golden Glory logo
(photo 20) 2H2H DVD II
(photo 14) Gilbert Yvel victorious

Oleg Taktarov, Mark Kerr, Pedro Rizzo, Marco Ruas などのWVCチャンピオンたちはみな日本で戦い、世界的に有名になっていた。 ヒース・ハーリングをオランダへ呼び寄せ、住居を与え、コー・ハマーズにより指導を受けさせた。 そして、ニクヴィストは、ヴァレンタイン・オーフレイムとアリスター・オーフレイムに接触。 ブーンは、アイブルとの伝説の一戦を戦い終えたばかりのセーム・シュルトと接触した。(シュルトは、当時、有名トレーナーのデーブ・ヨンカースより指導を受けており、空手世界チャンピオンと2度のパンクラス・チャンピオンを獲っていた)。 また、ブーンは、ハリッド “ディ・ファウスト" アラブ、ファティフ・コカミス、後にステファン “ザ・ブリッツ" レコなど、挌闘家を続々と加えた。 ギルバート・アイブルとヒース・ハーリングは、PRIDEと契約した。 アイブルはリングスにて世界チャンピオンになったが、ニクヴィストが、二人の選手にPRIDEへの道を開いたのである。

その後、アリスター・オーフレイムがIMA世界チャンピオンになり、ハリッド・アラブもローマン・ゼンツォフを1ラウンドKOで破りヨーロッパ・チャンピオン(Mix Fight in the Cage in St.Petersberg)となった。 ファティフ・コカミスもガンバーリャンをやぶりロシア・チャンピオンとなった。 ムラド・チュンカエフもアンドレイ・シモノフをデビュー2戦目にして2h2hにて破る活躍をみせた。 ステファンとハリッドは、2006年のK-1 GP ラスベガスにて勝利を収め、セーム・シュルトは2006年のWORLD GPのチャンピオンとなった。 ギルバート・アイブルは、2004年にジムを離れ、またヒース・ハーリングもまた5年間のトレーニング生活を送ったオランダを離れ、アメリカへ戻った。 彼は現在、ラスベガス・コンバット・クラブにてトレーニングしている。

Golden Gloryは、彼らの選手生活の成功を祈っている。 最近では、世界でも最もタフなAbsolute Fighting Championshipsで複数回優勝している、ロシアのEvigeny Lotinとアンドレイ・ルダコフがゴールデン・グローリーに参加した。 AFCは現在、ゴールデン・グローリーと提携しており、若いロシアはレスラーはオランダで立ち技を学び、打撃が得意なオランダの選手はロシアで寝技を学んでいる。

チーム・ゴールデン・グローリーは信じられないほどの成功をなしとげ、世界中で有名になった。 最近では、フレッド・ロイヤーズ(有名なオランダ人ムエタイ・トレーナー)がゴールデン・グローリーと一緒に仕事をしている。 コー・ハマーズ、ルシアン・カービン、デーブ・ヨンカーズ、そして、フレッド・ロイヤーズといったトレーニングの“マスター"たちは、若いうちからコー・ハマーズとともにアーツVSロブマン、バレンタインVSデッカーなどの伝説の一戦をプロモートしたバス・ブーン、ロン・ニクヴィストとともに、まるでチャンピオン製造工場のようにチャンピオンをつくっている。

ゴールデン・グローリーは単なる成功したチームではない。 これはファミリーである。ゴールデン・グローリーは、2001年3月18日に“Too Hot Too Handle"と一緒にヨーロッパ最高の挌闘ショーをつくったときに真に有名になった。ゴールデン・グローリーは全ての試合に勝利し、 ロッテルダムのアホイ・スタジアムに集まった1万人以上の観衆は、ラモン・デッカーの最期の試合(3ラウンドKO勝利VS Marino del Florin)、そしてアーネスト・ホーストのオランダでのひさしぶりの試合を観ることができた。 ラモン・デッカーとロブ・カーマンは、ゴールデン・グローリーのシンボルのはいったタイマツをかかげ、これをゴールデン・グローリーのチームへ渡し、若い世代へのファイティング・スピリットの継承を意味した。 これは誰もが感激した瞬間であった。

ゴールデン・グローリーのロゴの意味は、以下の通りである。 赤の“G"は、血と生命力を表し、黄色の“G"は、火とファイティング・スピリットを表し、日本語の文字“気"は、気の力を表している。

この大会には、オランダ、ブラジル、アメリカ、日本など世界中の格闘雑誌も訪れ、Stephan QuadrosとBas Ruttenがライブ中継するなか、ヨーロッパ史上最大のMMAイベントとなった。 これは、ゴールデン・グローリーのまだ見ぬ成功のほんの一歩にすぎない。

Story by Bas Boon / Lindsay Muro
Photo archive Golden Glory
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